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タイトル:講座レポート

令和3年度 宮城西部地区今昔物語~大倉編~

2021年12月7日

第1回「大倉いまむかし(仮称)」編集会議を開催しました!

2021年12月7日

 12月7日(火)第1回「大倉いまむかし(仮称)」編集会議を開催しました!
8月から6回に渡り開催した大倉地域の「昔の話しを聞く会」が一通り終了したため、冊子編集に向けて会議を開催しました。
地域団体の方や一般の企画員、編集アドバイザー等、数名の編集委員が集まり、冊子の構成や今後のスケジュール等について話し合いをしました。
「昔の話しを聞く会」で聞き取りしまとめた記録に目を通し、改めてどのような項目があるか確認しました。途中、地元の方から次々と興味深い話が出て来て、ついつい聞き入ってしまいました。そして次回の編集会議までに項目のテーマ分けや足りない情報について考えてくることにしました。また編集アドバイザーから今後のスケジュールについての説明ややそれぞれの役割について確認しました。
編集作業をしながら、追加の聞き取りや話し手に確認する作業等もあり、それぞれ忙しくなることが予想されますが、「何とか纏めましょう」という皆さんの意気込みを感じ頼もしく思いました。

11月16日(火)第6回「昔の話しを聞く会~滝上分校編~」を開催しました!
滝上分校は、大倉ダムを過ぎ、大倉ふるさとセンターの前を通り、定義へ向かう途中、滝の上橋を渡る手前の所にありました。この分校には滝の上、橋を渡った辺りの矢籠、そして定義の人達が、小学校4年生まで冬期間通いました。今回は滝の上で生まれ育った男性1人女性1人、そして定義の男性1人の3名の方においでいただきお話しを伺いました。
元々家が少ない所だっため生徒数も同じ学年の子は8名ぐらいだったそうです。学芸会は本校で行ったそうですが、本校の生徒の他に白木や青下分校の生徒も来たので250名ぐらいになり、父兄も来るので大変賑やかだったそうです。父兄の出し物もあり演芸大会の様相だったようです。
分校前には何百年も経つような立派なシダレザクラがあり、サクランボがなるとみんなで採り、先生がサクランボジュースを作ってくれたそうです。今でしたら福島の三春の滝桜のような見事なサクラでしたが、分校がなくなるとサクラもなくなってしまいました。
分校へ通うのに定義の人達は遠いのででよく「山がっこう」をして、学校に行かない日もあったそうです。ヤマブドウを採ったり、「穴石」と呼んでいた場所で昼寝をしたりして遊んだそうです。参加者の皆さんは、思い出話しで花が咲き、大変懐かしそうにしていました。
今回で「昔の話しを聞く会」は一旦終了し今後に向けて会議を行う予定です。昔の話しをお聞かせいただいた地域の皆さま、ありがとうございました。



10月月26日(火)第5回「 昔の話を聞く会~小倉神社と氏子衆編~」を開催しました!
いよいよ昔の話しを聞く会も5回目を迎えました。今回は笠松分校へ通った下倉と大手門の方5名においでいただき、分校と地域にある小倉神社について話しを伺いました。
笠松分校には、下倉、大手門、大原地区の人達が通いましたが、地理的な状況から冬場は通うのが大変で、下倉や大原地区の人は上愛子小学校に通ったそうです。校舎を建て替える際、どこに建てるかは大きな問題で、三つの地区で大変もめたそうです。
下倉周辺は田んぼが広がる広々とした地域ですが、水を大倉川上流の滝の上からひき、その途中に隧道があります。長さ2.5㎞の隧道は機械のない時代、人力で掘り8年の歳月を要する難工事でした。戦争中は食料難や資材不足で工事が中断し、朝鮮人の労働者を受け入れる家の方も苦労されたようです。その後大倉ダム建設が始まりますが、ダム工事関係者であふれかえり、下倉には飲食店や雑貨屋さんが建ち大変にぎわったそうです。小倉神社のお祭りも盛り上がり、舞台掛けをし歌舞伎のような踊りまで披露したそうです。春秋の奉納で舞う田植え踊りも盛んで4トンほどのトラックに乗り上愛子ぐらいまで踊りに行ったそうです。ダム建設により道路が整備され地域も大きく変わりました。今では少子高齢化の波に押され地域の課題もありますが、語り手の皆さんには、昭和の頃の懐かしい話を時間を忘れるほど熱く語っていただきました。

10月12日(火)第4回「昔の話を聞く会~青下分校編~」を開催しました! 
青下分校は熊ヶ根から仙台市水道記念館に向かう道の奥にありました。現在、青下地区は5軒しかなく、今は誰も青下分校について語れる人がいないため、昔から青下地区とつながりが深い、大手門の方にご参加いただき、青下分校と大手門にあった笠松分校について話を伺いました。
会場の大手門集会所は分校のような建物ですが、以前大手門の大豆沢にあった笠松分校がなくなってから、分校の廃材を利用して建てたものだそうです。大倉に五つある分校のうち四つは地名から分校名がついていますが、笠松分校だけが地名ではない理由が、三つの地区の人たちが通うため一つの地区だけの名前を付ける訳にはいかず、分校が建てられた場所に笠の形をした松があったことから命名されたという興味深い話を聞きました。
毎日梅干しだけの日の丸弁当なので、アルミの弁当箱に穴が空いてしまったこと、何も持って来られない人にはみんなで少しずつ分けてあげたことなど、懐かしそうに話していました。
山深い地域ですが、大倉にお菓子屋さんや魚屋さんがあったこと、熊ヶ根には沢山お店があり何でもそろったので、捻木道(熊ヶ根と大手門を結ぶ山道)を通って買い物に行ったことなど、昔はよく歩いたそうです。
その他にも田んぼの先生の話や講についての話があり話題が尽きることはありませんでした。


10月1日(金)第3回「昔の話を聞く会~定義如来と門前編~」を開催しました!
「じょうげさん」という愛称で親しまれている「西方寺」は、壇ノ浦の戦いで敗れた平貞能が落ち延びてきた所と言われています。この奥深い地で脈々と受け継がれてきた篤い信仰が今でも多くの人々を引き寄せています。前住職の大江田博導氏や西方寺で仕事をしていた方々にお集まりいただき、昭和の頃のお寺と地域の関わり等についてお話しを伺いました。
昔、冬はバスが途中の滝の上という所までしか来なかったので、定義までは雪道を徒歩で往復しなければならず、そのため参詣客も疎らでした。そこで、何とかバスを定義まで運行してもらおうと算段し、定義の人たちが一丸となってスキー場を作ったそうです。重機などなかったころのお話です。
また、四代ぐらい前の住職の頃から、五重塔の建設の計画があり、代々受け継がれて現在の姿になった話など、興味深い話を伺うことが出来ました。まだまだ話題は尽きないようでしたが、時間となり終了となりました。

9月28日(火)第2回「昔の話を聞く会~白木分校編」を開催しました!
白木は大倉小学校跡地近くから七北田へ向かう道路に入り、峠道を越えた辺りの地域です。ここは平家の落人が住んだと言われる所で、白木という地名はこの周辺に「シラキ」の木が多かったことからついています。
先祖が400年以上も前の享保の時代から続いている家の方と平家のつながりはないようですが「平」を名乗っている方、そして分校の隣に住んでいる方、3名の方においでいただき、戦時中のことから話を伺いました。3人の方はそれぞれ小学生や中学生だったため、学校の先生も軍服姿で大変怖かった思い出話をされていました。
子どもの頃のおやつとしては、桑の実やぐみなど野山にある自然の物を食べることが多かったそうですが、山形から行商の人がきていたのでたまに黒いかりんとうを食べることがあり、それがとてもおいしかったそうです。山形とは深いつながりがあり、お嫁に来る人もいたようです。
その他に地域の信仰の集まりとして古峯原講や庚申講の「講」について、白木地域ならではのお供えの食べ物の話など興味深い話を聞くことができました。時間があっというまに過ぎ、まだまだ聞き足りない感じでしたが、足りない分は個別に伺う約束をして終了しました。

8月24日(火)第1回「昔の話を聞く会~十里平分校編~」を開催しました!
大倉定義より更に5㎞奥に入った所が十里平です。戦後、樺太から引き上げてきた20戸の人たちが開拓した集落です。
今日はそこで生まれ育った方2名とお嫁に来た方2名においでいただき、インタビュー形式で昭和の頃の生活の様子を伺いました。
語り手の方々は、コロナ渦で久しぶりに顔を合わせたせいか、始まる前から昔話に花が咲いていました。聞き手役の地域に住む企画員でもあるアドバイザーの方の肩の張らない話の引き出し方で、次々と懐かしい話が出てきました。
木を切り笹小屋を建てて住んだそうですが、冬は雪が入って寒く、夏には家の中に蛇が入っていてびっくりしたそうです。とにかく食べ物がなく苦労した話が多く出ました。途中で分校最後の先生が昭和49年に作成した「ひらかれた十里平」のビデオを観ましたが、当時のことを思い出し、話は盛り上がりました。

 7月13日(火)話し合い「事業のテーマと進め方について」を開催しました。
大倉地域の昭和の頃の生活の様子を地域の方から聞き取りをし、そこで得た情報を記録に残すために、事業のテーマと進め方について、地域のキーパーソンとなる二人の方と話し合いをしました。
一昨年作成した冊子「作並・新川いまむかし」と同じようなスタイルで大倉版を作成することにしました。地域の拠り所となる学校が生活に密着していることから大倉にあった五つの分校を基に「昔の話を聞く会」を開催し、聞き取りを行うことにしました。
また地元の方以外にも企画員を募り、いろいろな方の意見を反映させながら進める予定です。日程の確認や地域の語り手の候補等について、また昔の話を聞く会の役割分担を決めました。事業の骨格が決まり、地域の企画員の方から新たな大倉の情報を得ることができ有意義な会となりました。

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