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タイトル:講座レポート

令和5年度 田子市民センター主催事業「田子西地域の成り立ちを記憶する」

2024年2月10日

田子西地区・田子西隣接地区の再建の様子(平成28年1月)仙台市都市整備局市街地整備課HPより転載

特集「田子西地区の成り立ちを記憶する」完成しました。

2023年2月10日

  • 簡易な冊子は、田子市民センターでご覧になれます。

 令和6年)1月11610石川県能登半島にある鳳珠郡穴水町の北東42 km震央として発生した地震とした能登半島地震(震度7)が発生し、地震による家屋倒壊や土砂災害、津波などにより、死者が200人を超えるなど、甚大な被害がありました。連日被害の状況や避難された方々の様子など報道されています。私たち仙台市民は、平成23年に起こった東日本大震災当時を思い起こし、とても人ごとに思えません。 

この事業を始めたきっかけは、令和3年に災害のお話をしに中学校へ行かれた行かれた田子西地区の町内会長さんから、「今の中学生が、田子西地区がなぜでできたのかも知らないんだよね。」というお話をされました。田子西地区の町内会は、平成26年から28年にかけて設立されています。大人にとっては昨日のように思えますが、中学生にとってはその時期は幼く、地域の成り立ちを意識することもなかったと思います。「地域の成り立ちを伝えていきたい。」、「私たち大人が、成り立ちを記録して、子どもたちにしっかり伝える必要がある。」の想いに、令和4年度から5年度にかけて、田子西地区の町内会長様などから、ご寄稿頂き冊子を作成しました。「田子西地区の成り立ちを記憶する」とインターネットで検索されると、田子市民センターのサイトからご覧になれます。

  • 田子西中央付近の宅地造成した頃の航空写真(国際興行様からご提供)
  • 平面図
  •  田子西町内会を囲む、新緑の水面と遠くにそびえる仙台市街地のビル群

 田子西中央町内会成り立ち(平成28年設立)PART2

田子西中央町内会  元町内会長 片桐 勝二

平成284月より、田子西中央町内会役員(執行部役員・専門部役員・各班班長)とすべての町内会会員129名で組織された新たな町内会として出発しました。そして、今回より町内会役員を担っていただくほとんどの方々が、これまで町内会運営活動業務に関わった経験がなく、全役員が一丸となり、試行錯誤を繰り返し、そして、互いに協力し合いながら町内会運営活動を行うことを申し合わせ、全員が認識を一致させて現在も日々の町内会運営活動を行っています。 

 町内会活動の主な年間行事は町内会の基本方針に基づき、①通常総会、②春季・秋季の町内会一斉清掃活動、③真夏の夏祭り、④田子学区地域防災訓練、⑤年度末会計監査(町内会執行部役員のみ)の5行事と定めました。毎年開かれる各種行事には、町内会員の多くの方々に参加を頂き、近隣同士で互いに顔見知りとなり、徐々にではありますが、町内会内での地域コミュニティの形成に繋がっているのではないかと思います。 

特に、毎年開かれた夏祭りや田子地区地域防災訓練は、開催回数を重ねるごとに企画内容が充実し、住民同士のコミュニティの形成や防災意識の高揚に繋がりました。特に防災訓練において、町内会内のウォークラリーで町内会内全域を知っていただきました。又、当町内会(田子西中央町内会)指定避難場所の確認を当町内会の一時避難所(田子西中央集会所)から仙台市指定避難場所(田子中学校)までの道順を参加された方々と一緒に歩きながら危険か個所の有無を点検しながら避難経路の確認を行っていました。 

町内会設立当初から、行政関係機関の支援団体等による、住民同士のコミュニティに繋がる催し物を町内会集会所内(田子西中央集会所)を利用して数多く開催してきました。①ひな人形作り、②演芸会の開催、③料理教室、④コンサート、⑤幼児のための音楽会、⑥ダーツサロン、⑦子供との外遊び、⑧その他等で、参加者の話し声や笑い声で賑わっていました。 

高齢で身体が健康な方々も町内会の集会所を利用し、趣味の会サロンを複数立ち上げ、サークル活動内で身体を動かしたり、おしゃべりを楽しんだりしています。それは、①カラオケサークル、②書道サークル、③チクチク倶楽部、④ダーツサロン、⑤健康ラジオ体操などです。健康ラジオ体操では小さなメンバーのかわいい体操の動作に周囲の方々は目を細めています。 

田子西中央町内会の居住されている世帯の年代は、高齢の世帯の数よりも若年世帯数の方が多く占めており、未就学児から小中学生の生徒まで数多くの子供たちも住んでいます。 

町内会内には公園内の敷地整備に伴い、ブランコなどの遊具が設置された公園があり、散歩や親子で遊具等を利用して遊んでいる人たちの様子を見られます。地域の高齢者の方々も公園内の見守り活動を行って事故発生を未然に防いでいます。

公園内で見守り活動中に、園内で子供たちが乗り回す自転車やスケートボード等によるスピードの出しすぎによる幼児との接触事故や、遊び終えて帰宅時における公園内から公道への急な飛び出しによる交通事故等に遭遇するような危険行為を時々見かけることがありました。そのような状況を見つけたときには子供たちを集め、予想される事故の怖さを穏やかに話し、園内での遊びルールや自転車で園内を移動する際には降りて押して移動すること等を話しています。

特に、公園内でスケートボードを使用して遊んでいる子供たちを見かけたときには、公道での使用禁止を促しています。また、過去に田子地区内で発生したスケートボードに乗った小学生が尊い命を失った痛ましい交通事故の話をして注意を促しています。併せて、公園内で中高生と話す機会が時々あるので、公園内で遊ぶときには周囲に十分注意を払いながら遊び、近くで遊んでいる子供たちにも配慮するようお願いしています。

自転車で遊びに来る子供達が多かったので、公園内に自転車置き場を数か所設置し、駐輪場の表示や遊びの注意喚起の標識を設置し事故防止に努めながら、町内会内の巡回時やサロン開催時は集会所内外からの見守り活動を行っています。
提供写真① 田子西中央付近の宅地造成時の航空写真(国際興行様より提供)②平面図 ③田子西中央から望む風景

  • 令和4年度田子西3丁目防災訓練(田子地区地域合同防災訓練)風景より

特集「田子西の成り立ちを記憶する」第5回
田子西3丁目防災集団移転地

                       田子西三丁目町内会副会長 佐藤政信

 

東日本大震災発生後、蒲生の港地区から避難し、高砂一丁目公園仮設住宅で自治会長として活動していました。震災から1年後に仙台市東部地域防災集団移転促進事業より8箇所の候補地が選定され、できるだけ蒲生の元の住民がまとまって移転できるよう皆で話し合いを繰り返し行ってきました。

私は、一番駅に近く便利で住みよい環境の田子地区を選びました.。土地の価格と家庭の事情や仕事の勤め先などの関係で、元の町内住民すべて一緒にと言うわけにもいきませんでしたが、その中の約50 %の人々が田子地区に移転してきました。平成273月より宅地の引渡しを開始し、私は同年11 月に移転しました。 

        

それまでは、震災後、高砂一丁目公園仮設住宅に、流失した町内会の事務所を置き、そこから一番近い高砂市民センターで住民と元町内住民の交流の催事を行い、被災者の助け合い活動をしてきました。震災から3年後には、旧中野小学校学区の住民を対象に高砂市民センターの講座として「中野ふるさと学校」に主体的に参加しました。

 

移転後の現在は、震災前の蒲生地域の住民が散り散りになったため、元の住民が集える会を作り、流失した故郷の文化・歴史を伝える活動をしています。さらに活動の幅を広げるため、自主活動グループ「中野ふるさとYAMA学校」を立ち上げ地元のシンボル「仙台蒲生日和山」を軸とした地域交流事業や歴史の継承、地域の新たな魅力発信と震災の記録と記憶を語り継ぐ語り部活動と蒲生干潟の環境保全活動、小学校児童と自然観察会と花咲く海辺づくりのサポーターなど複数の講座に参加しながら蒲生千潟の自然を守る清掃活動をして、地域活性化に貢献しています。最近では、日本一長い貞山運河の幅広い勉強会、「仙台湾岸運河郡の歴史協議会」(宮城県主催「みやぎの運河郡連絡調整会議」の組織に加盟)を設立し、田子市民センターはじめ近隣の市民センターで勉強会を開催していますので是非参加してください。

 

田子地区移転後も活動を継続しながら田子市民センター講座の「田子今昔物語」からの「田子の魅力発信広報部」、「田子のまちあるき講座」に参加して地元の歴史・文化の勉強会をしています。これからも、新しい田子地区の移転地で地域を知り、協力し合って震災を伝えて行きたいと考えています。

 

 

佐藤 政信氏プロフィール

 

田子西3丁目町内会は、平成273月から田子西隣接地区への移転開始がはじまり、平成284月に田子西3丁目町内会(当時92戸)を設立しました。

佐藤政信氏は,東日本大震災後 集団移転地として田子西隣接地区にお住まいになられました。町内会の設立準備会を経て、それまで宮城野区にあった高砂1丁目公園仮設住宅自治会会長のご経験から現在は、田子西3丁目町内会の副会長をなさっています。

また、中野ふるさとYAMA学校代表、仙台湾岸運河郡の歴史協議会会長、中野伝承の丘保存会役員などの復興支援活動を精力的に行われています。

 

  • 田子西3丁目町内会は宮城野高校の西側にある町内会です。

特集「田子西の成り立ちを記憶する」第4回
  田子西隣接地区の成り立ちについて(追憶)(平成27年設立)

      田子西三丁目町内会 会長 佐藤修一 

いま思う所、過ぎ去りし日のあの出来事は、誰もが記憶を失うことなく心の奥深く閉ざされたまま日を見る事は無いでしよう。何故なら、過去に縛られては何も生まない事を知るからです。人間(動物)は再生能力がある反面、離合集散し時間の経過とともに忘れ過ぎし日となり、悲劇を繰り返すのが本来の姿だからです。あの百獣の王ライオンでさえ集団生活を営み、一匹では生きて行けない厳しさを人間社会と重ね合わせれば、過程(避難生活)の中で得た教訓と、現在に至るまでの経過を鑑みれば誰でも知るべき事実を経験した事でしょう。 

しかし、家族の願いも虚しく、最後の地を踏む事なく道半ば無念の死を遂げた方も数多くいる事を思えば、残された私達が故人の志を忘れる事なく前へ進める事が責務と考え邁進している所であります。                       

また、田子西三丁目町内会(平成2843 )の生い立ちを振り返れば、国・県・市・または、見知らぬボランティアさん方の心あるご支援があって初めて、我々が生かされたと幸せを胸に刻みつつ、上積みするかの ように思い浮かび「日本人で良かった」と感じたのがこの瞬間でありました。更に、勇気づけられたのが仙台市()移転7地区の合同宅地造成起工式(平成25年3月31日)へ参加及び仙台市役所でおこなわれた.宅地引き渡し式(平成27326) に於いて隣接地区を受け、市長に対して代表として御礼の言葉を述べさせて頂いた事が、再建へ向けた我が気持ちを強くしたものと実感しております。

この田子隣接地区の確保にあたり、地域の地権者の心温まる思いと、移転に伴う環境問題も含めたご苦労を感じ取りながら、仙台市等多くの方々の努力の結果が私たち被害者の心情と一体となる事で初めて成しえたと考えております。加えて、忘れてならないのが町内会設立に尽力して頂いた「当時の役員・会員さん」であります。無資金の中、県や市の支えもあり、「鉄は熱いうちに打て」の言葉通り、気を失せず会則・名簿作成、町内会行事等立案に勤しみ、備品等もいち早く揃える事ができたのも目的意識が同一方向にあり、献身的な努力の結果が果実として実ったものと確信致しております。

今後は、田子地区の一町内会として、微力ながら地域の歴史に1ページを飾る努力を会員と共にする覚悟であります。

※仙台市東部地域防災集団移転促進事業7地区における概要(仙台市)

 
 


仙台市東部地域の防災集団移転先については, 1 3地区の移転先を確保し, 7地区(市造成5地区(田子西隣接,南福室,上岡田,七郷,六郷) 土地区画整理事業2地区(荒井西,荒井南) )において宅地造成工事が完成し,平成2 7 32 6日より宅地の引渡しを行った。

  • 令和4年度田子西3丁目防災訓練(田子地区地域合同防災訓練)風景より

 佐藤氏プロフィール

田子西三丁目町内会は、平成273月から田子西隣接地区への移転開始がはじまり、平成284月に田子西3丁目町内会(当時92戸)を設立しました。

佐藤氏は,東日本大震災後 集団移転地として田子西隣接地区にお住まいになられました。町内会の設立準備会を経て、それまで宮城野区にあった仙台港背後地6号公園仮設住宅の自治会長のご経験から選任され、令和4年現在も田子西3丁目町内会会長を務めていらっしゃいます。

  • 田子西町内会は、岩切の余目地区に接した地区です。

 特集「田子西の成り立ちを記憶する」第3回  
田子西町内会の成り立ちから10年(平成26年設立)           

田子西町内会 会長 川名 清 

平成23年発生した東日本大震災発災時に私が被災した地は石巻市幸町(渡波)です。

当時住居を兼ねていた会社の建物の2階(高さ6 7メーター)まで津波が押し寄せてきました。会社を共同経営しておリましたが、義理の弟に会社を譲リ、残務整理した後、電子レンジー個で仙台市宮城野区新田の借上のアバートに引っ越しして来ました。復興公営住宅に移り住むまでの約3年間は、仙台市社会福祉協議会の支え合いサロンなどに参加し、多くの方々の援助を頂きました。復興公営住宅に入居した当初は、バス路線が無い上スーパーも遠く、車が無いと生活が大変だと思っていました。

田子西町内会の設立は、宮城野区のまちづくり推進課の多くの方々に協力を頂き、さらに「支援者の会」の強力なサポートも有り、スムーズに町内会は設立されたと思います。しかし、当初私に対して「よそ者が何で代表を」との声があり、難しい立ち位置であったと思っていました。(あると思いました。)特に定期総会で役員案が否決されたり、役員が定員に達しなかったり、34年間は大変な思いをしました。

それでも、各方面からのアドバイスを頂き、情報共有を町内で図る為「町内会広報」、「次月活動日程表」、「専門部活動報告」などを「市政だより」に綴じ込み、「ごみ集積所清掃案内」、「町内会会費集金案内」、「班長会案内」等々は、掲示板を利用したり、や宛名を入れたポスティングを行ったりし、徹底的に情報を発信し「共通認識」の釀成に努めました。

しかし、4年目以降の家賃高騰問題から、次の世代(若い世代)の担い手が退去してしまい、相変わらず役員を引き受けてくださる方はいなくなってしまいましたが、夏まつりや防災訓練などのスタッフ募集には毎回30 4 0人程集まってくださり、行事などではスムーズな運営が出来ています。

現在、みなし仮設時代から続いて運動指導員による『運動教室』134回、「音楽の力による復興センター・東北」と「喫茶ひこ」の支援による『うたカフェ』8 5回、「広瀬川倶楽部」による『ダーツ教室』6 9回、「オリーブの小路(OpenVillegeノキシタ)」支援による『子どもレストラン』3 0回、町内会、福祉委員による『すみれの会』( 7 0歳以上の一人住まいの方が対象) 40回、自主クラブによる『手芸クラブ』(現在休止中)を開催しています。また、外部の健康麻雀クラブに集会所を貸し出し、月 3回開催中です。新しい試みとしてWi - Fiを設置し、携帯電話からスマートフォンに移行する方のために「つながりデザインセンター」による『田子西スマホサロン』を東北大学と東北学院大学の学生ボランティアによるサポートを受けながら開始しました。さらに、小学生には大学生ボランティアによる「夏休みの学習支援」をお願いしています。

高齢者対象には「福田町地域包括支援センター」による『ひまわりサロン』を偶数月に開催するなど、様々な活動を町内会全体に開き、どなたでも参加できるように工夫していきたいと思っておリます。市営住宅の将来を見据えて、「11年目以降の家賃減免問題」、「共用部の経費負担問題」、「未加人者への負担金問題」「環境整備の外部委託問題」など、会員の皆様と共に一緒に考えていきたいと思っています。



 

  • 令和4年度田子西3丁目防災訓練(田子地区地域合同防災訓練)風景より

 川名氏プロフィール

田子西町内会は、平成26101日、仙台市が東日本大震災を受けて整備された宮城野区の「田子西」の復興公営住宅(現在は田子西市営住宅)の入居者167世帯のうち141世帯で町内会が設立されました。

川名氏は、震災後石巻市から仙台にこられ、田子西市営住宅入居直後から町内会設立にご尽力されました。

2 特集「田子西地区の成り立ちを記憶する」第2回
 「田子西地区の成り立ちを記憶する」集団移転と地域支援をとおして

 

                  高砂地区町内会連合会会長 牛坂 勝 

(前高砂地区社会福祉協議会会長・田子西地区復興支援者の会会長 

 

平成23311311日に発生した巨大地震で、高砂地区も旧中野小学校区の4町内会と岡田2町内会の住民も大津波により、家屋流出避難遅れにより270余名の方々が亡くなり、永い間、住み慣れた地域が一瞬のうちに壊滅してしまい、本当に悔しい思いがしました。被災された方々は、高砂地区6ヶ所の仮設住宅及びみなし仮設住宅に分散しての生活を余儀なく強いられました。

田子西地区(当時田子西隣接地区)には、平成26年に田子西復興公営住宅4棟が建ったのを皮切りに、東部地域防災集団移転促進事業で宅地が整備され、平成27年には防災集団移転が始まりました。田子西復興公営住宅の入居者は、宮城野区各地からが8割ほどで、2割は他地域からの移住してきた。約400人のうち高齢者が4分の1を占め、1人か2人で住む人も多い状況でした。

 

当時、高砂地区社会福祉協議会の会長を務める私が発起人となり、平成26年に高砂地区社協、宮城野区社協を中心に周辺町内会や地区民生委員児童委員協議会等地域の十四団体が連携・協力して田子西地区住民主体の福祉活動の支援する事を目的に「田子西復興公営住宅支援者の会」を発足しました。集団移転事業とともに「田子西地区復興支援者の会」に名称変更して田子西地区へ新たに住民となられた方々が住民同士の絆をつくり、支え合う活動によって一人ひとりが安心してまちづくりができるよう支援して参りました。

 

高砂地区町内会連合会の一員として、田子西地区では新しい住民による四つの町内

会が発足し、「支援の会」は平成2 8年に発展的に解散しました。

 令和2年に発生した新型コロナウィルスの感染拡大防止の観点から地域の交流が積極的に図れない状況にあり、当事者から話を伺う機会が失われつつあります。この事業を通し、田子西地区の成り立ちを記録し残すことで、田子西地区だけでなく高砂地区の歴史としていけたらと考えます。

 牛坂氏プロフィール

牛坂氏は、高砂地区町内会連合会会長を務められています。東日本大震災後の平成26年には 高砂地区社会福祉協議会会長・田子西地区復興支援者の会会長に就任され、田子西地区に来られた多くの方々の支援にご尽力をされています。

  • 令和4年度田子西3丁目防災訓練(田子地区地域合同防災訓練)風景より  

 特集「田子西地区の成り立ちを記憶する」第1回

田子西中央町内会成り立ち

              田子西中央町内会  元町内会長 片桐 勝二

田子西中央町内会の設立について語るにあたり、11年前2011311日に東北地方を襲った、甚大で未曽有のあの東日本大震災を忘れてはなりません。

太平洋から押し寄せた大きな津波の中に尊い多くの人命を失うと共に、また、多くの人達が長い年月に亘り築き上げた全てのものを失って冬の寒空の下に投げ出されましたが、国内外を問わずに数多くの方々の温かいご支援を頂くと共に、また、被災された方々もそれぞれの復興に努力した結果、人々も街も見事に復興を果たしました。

田子西中央町内会の田子西1丁目は田子土地区画整理組合の造成地の一部を防災集団移転地として活用し、又、田子西二丁目は仙台市があの東日本大震災被災者の防災集団移転地として造成工事を行い、この2箇所の造成地が合わさり田子西中央町内会が出来上がりました。

現在、この田子西中央町内会に居住されている方々は、あの震災で被災した宮城野区の沿岸部の方々をはじめとして同じく被災した他市町村の方々や、仙台市が推し進めているエコタウンの戸建てを購入された方々や田子土地区画整理組合員や民間企業の建売住居の購入者などで構成されております。

平成2710月から田子西中央町内会の設立準備委員会が宮城野区の指導の下で設立され、町内会名の由来は第1回目の町内会設立準備委員会の会議の席で、一人の委員が「田子西中央のバス停があるよ」とのユニークな発言で決定しました。

その後は定期的に集まり町内会の規約の原案作成や町内会運営方法等を話し合いながら進めておりましたが、コミュ二ケーションの形成方法町内会への加入方法町内会費額の算定方法町内会役員の選出について班内の分割等の項目が重要な問題として立ちはだかり対応に苦慮しておりました。そのような状況の中、設立委員会の会議の席でアンケート調査の実施案の提案があり、仙台市と相談の上、居住予定者の全世帯にアンケート調査を実施し、その調査結果をまとめ、他の検討事項等を含め設立準備委員会で検討・審議を重ね、町内会会費や田子西中央町内会規約等に居住予定者の意見や要望等を反映させたものを作り上げることができました。

町内会発足にあたり田子西中央町内会基本方針を下記のように定めました。

【信頼できる関係を共に築き、明るく・安心・安全で心豊かな街づくり】

上記のスローガンを掲げ、平成28327() 129世帯の会員とともに田子西の地に新たな町内会【田子西中央町内会】が発足しました。

当町内会に居住される時期が一定していないため、町内会への加入の案内については町内役員が入居状況を確認後、個別訪問し町内会への加入と住民台帳の提出と依頼を合わせてお願いしております。

これからも住民間のコミュニケーションを図りながら【信頼できる関係を共に築き、明るく・安心・安全で心豊かな街づくり】を進めて行きたいと考えています。

  • 田子西中央町内会は、田子西地区の北西に位置し岩切の余目地区に隣接した地域です。田子西1丁目と2丁目の住民で構成された町内会です。

 田子西中央町内会は、田子西地区の北西に位置し岩切の余目地区に隣接した場所で、田子西1丁目と2丁目の住民で構成された町内会です。

片桐氏プロフィール

田子西中央町内会は、田子西1丁目と2丁目の住民で構成されています。

片桐氏は、平成28年に設立した田子西中央町内会の立ち上げに尽力され、平成284月から令和44月まで田子西中央町内会の初代会長をされていました。

 第1回「田子の歴史 田子西地区の成り立ちを記憶する」企画検討会 

日 時:令和4415日(金)午前10001130 会 場:田子市民センター 第2会議室

田子西町内会/田子西3丁目町内会/田子西中央町内会の会長にお声をかけさせていただき、「田子西地区の成り立ち」について、地域の歴史としてどのような内容をまた、どのような形で残していったらよいかを検討しました。
参加した田子西地区の各町内会長からは、地域情報と共にいろいろなアイディアを頂き、「単に文書をまとめるのではなく、田子西がつくられる経緯から記録してはどうか。」、とのご提案を頂きました。また、当時の写真も提供いただくことになりました。令和4年度は、「田子西地区の各町内会の成立までを記録していく」をメインに行うことになりました。

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