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更新日:2025年3月25日

青葉区 センタートップ

広瀬市民センター

〒989-3125 仙台市青葉区下愛子字観音堂5
電話番号: 022-392-8405 
休館日:月曜日、祝日の翌日、年末年始

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令和4年度「地域で伝える平和学習」

令和4年度「地域で伝える平和学習」終了しました

2023年2月8日

広瀬市民センターでは、先の戦争の記憶を語り継ぐため、仙台市戦災復興記念館・広瀬文化センターと共催して毎年「地域で伝える平和学習」を行っています。
地域の小学校6年生対象の平和学習出前授業に先立ち、令和4年12月21日から令和5年1月9日までの期間、広瀬文化センターのロビーで仙台空襲後の様子や復興の歩みを写真で伝えるパネル展を実施しました。
仙台市街地の焼け野原の様子や仙台市内の小学校の古い校舎や子どもたちの姿など、このような機会でしか見ることのできない写真パネルを、さまざまな年代の方が立ち止まり見入っていました。
「戦争を知らない人たちが多く、今まさに軍拡を推進しようとしている日本です。多くの人たちに知ってもらい本気で反対しないと、私たちの生命は守れない。いろんなところで企画して開催することは今だから尚更重要です」「通っていた小学校の校舎の移り変わりの写真を見て、戦前~戦後の時代の流れを感じることができ、貴重な体験になりました。今この時期に、歴史上どのような戦争があり、その実際の写真を見ることができることはとても大切だと思いました。今後もぜひパネル展を続けてほしいと願います」「行ったことのある場所なのに、焼け野原の仙台の各所を見て、改めて戦争が及んでいたことに気づかされた」「戦争の悲劇や復興の努力、成果が分かった。また、戦争は二度と起きてはダメだと分かった」「仙台のむかしの写真を見てびっくりしました。へいわでうれしいです」
短い期間ではありますが、今後も展示写真を入れ替えながら、地域の皆様と平和について考える機会を持ち続けたいと考えています。

仙台市立広瀬小学校「地域で伝える平和学習」出前授業

令和5年1月24日(火曜日)10時45分~12時20分 会場:広瀬小学校多目的ホール

始めに、仙台市戦災復興記念館の職員が、仙台空襲の被害の詳細や当時の人々の暮らしについて、スライドや実際に使われた道具の実物を使って説明を行いました。6年生にとっては、遠い昔の自分とは縁のないものだと思っていた戦争が、現実的なものとして感じられたように思います。
続いて、戦争を知る84歳から87歳の3人の語り手さんにインタビューをする形で実際の体験談を伺いました。
仙台空襲当日の様子、空襲翌日に怪我人が運ばれた愛子駅と広瀬小学校の様子、食糧難でお弁当のおにぎりや畑の野菜が盗まれたこと、お父さんが戦地で亡くなられたこと、小さい子どもにも家の仕事が割り当てられていたことなど、戦後77年以上経過しても鮮明に残る記憶をもとに、貴重な証言をお聞きすることができました。
「実際にいたわけではないのに恐ろしさがすごく伝わってきました。戦争を体験した人に話を聞けるのは貴重なことなので、ありがたいと思いました」「僕のひいおじいちゃんも戦争で嫌な目にあったのかと思いました。僕はどんな辛いことがあっても負けない人間になりたいと思いました」「話がすごく生々しくて最初から最後まで興味深かったです。次は自分で調べてみたいです」「やっぱり戦争は起こったらダメなんだなあと思いました。亡くなった人の分も私たちが一生懸命生きなきゃいけないと思いました」
今の平和な生活が決して当たり前ではない、自分たちが戦争を語り継いでいかなければならないという感想も多くいただきました。難しい言葉が出てきても一生懸命耳を傾けてくれた6年生の皆さん、本当にありがとうございました。

お話いただいた語り手の皆さん
加藤榮一さん(昭和20年当時 宮城郡広瀬国民学校 4年生)
庄子清さん (昭和20年当時 生出村生出国民学校折立分校 4年生)
早坂巌さん (昭和20年当時 宮城郡大沢村大倉小学校笠松分校 1年生)

仙台市立愛子小学校「地域で伝える平和学習」出前授業

令和5年1月31日(火曜日)10時50分~12時25分 会場:愛子小学校多目的ホール

戦災復興記念館職員による仙台空襲の被害や戦時中の人々の暮らしの様子についての解説に引き続き、80歳から89歳までの3人の語り手さんにお話を伺いました。
自分も特攻隊に入って敵艦に突っ込み必ず日本を勝たせると思っていたこと、近所の子どもが低空飛行の戦闘機からゲームのように撃たれたこと、食料が無く学校に弁当を持って来れない同級生がいたこと、畑の作物がしょっちゅう盗まれていたこと、背負っていた赤ちゃんを爆撃で亡くした母親がいたこと、お父さんが戦地から無事に帰って来て嬉しかったこと、父親が27歳という若さで戦死したこと、風呂を沸かすのに水くみや薪作りをするのが子どもに割り当てられた仕事だったこと、進駐軍の兵隊にライフル銃で撃ちこまれ必死で逃げたこと…辛い話の連続で、中には涙ぐむ児童もいました。
「戦争がここまで冷酷で辛いものだということを初めて知りました。戦争の話をするのはさぞかし辛かったと思います。戦争について教えていただき、ありがとうございました」「戦争はとても重い出来事で、軽く考えてはいけないのだと思いました」「私のひいおじいちゃんも戦争で亡くなりました。たくさんの人に被害が出て、戦争は二度としないと決意している人が多いと知りました。私も戦争はしないと決意しようと思いました」「自分の父親のぬくもりも知らず、父親が戦死した人の話が私の心に突き刺さって今も離れません。お話をしていただき、私は嬉しかったです。機会があったらまた伺いたいです」「当時、同じ6年生だったけど、全然違う生活で驚きました。自分がもしその時に生きていたら、耐えられなくなってしまうと思いました」
児童の皆さんは、語り手さんのお話を自分事として、最後まで真剣に聞いていました。

お話いただいた語り手の皆さん
本間一夫さん(昭和20年当時 福島県相馬郡小高町 小高小学校 6年生)
早坂巌さん(昭和20年当時 宮城郡大沢村大倉小学校笠松分校 1年生)
槻田褜次郎さん(昭和20年当時 3歳 宮城郡広瀬村作並小学校卒業生)