真美沢公園の四季 第四十四回 ソメイヨシノ
2023年4月2日
真美沢公園は、以前あった八乙女の広域の水田地帯に向けて3段のため池があった里山が連なる地域に、仙台市北部を住宅地として団地が切り開かれた中で里山とため池といったセットで残されたと思われます。最後まで残されたため池の水を利用していた水田も商業地や住宅地に変わり、里山とため池が、自然豊かな地域資産として残されています。
第四十四回 ソメイヨシノ
明治政府のイメージ戦略で全国に植林され代表的な桜に
英名:Tokyo cherry、Potomac cherry、Yoshino cherry
ソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンザクラの雑種と考えられ、明治時代に広く植栽されたとのこと。高さ10〜15m、直径1.5〜2mになる。成木になると枝は横に広がり、傘状の樹形になります。樹皮は暗褐色で皮目が横に並んで見えます。葉は互生で葉身は長さ8〜12cm、幅5〜7cmの広卵状楕円形です。先端は鋭くとがり、基部は円形〜切形です。ふちには重鋸歯があり、ときに単鋸歯がまじることも。葉が展開する前に花が開花します。花は直径約4cm。花弁は5枚で、白に近い薄いピンク色、前年枝の葉腋に散形状に3〜5個つきます。果実は核果。直径約1cmの球形で、5〜6月に黒紫色に熟します。写真は一昨年の8部咲きの様子です。
春の季節、花が開花して散るまでの一週間にだけ人々の注目が集まりますが、実は桜の秋の紅葉も見事なんです。一枚の葉が、緑から黄色に、そして紅にと変化する姿は、カエデとはまた違って見事ですよ。こちらも是非鑑賞ください。
ソメイヨシノの大きな特徴のひとつは、花びらが白に近い薄いピンクであることです。厳密にいうと、咲き始めは少しだけピンク色が濃いめなのですが、満開に近づくにつれ白くなっていきます。その花をズームアップして観ると、花の中心にたくさん伸びるおしべが目立ちます。30~35本といわれています。その先にある黄色い袋状のものは、葯と呼ばれ、中に花粉がいっぱい詰まっています。その中心に花粉を受け取るめしべがあり、めしべの先は柱頭と呼ばれ、その柱頭の下の方に子房と呼ばれる中に将来種子になる胚珠があります。
ソメイヨシノは、きれいに咲かすことで見栄えが良いこと、花を咲かせてから葉を生やすため開花までの期間が短いこと、また、生育が早いこと、が短期間で多くに人々受け入れられ有名になった理由です。熱くなり易く冷めやすい、お祭り好きの日本人にとってサクラの花見は季節の風物詩に近いのかもしれません。
さらに、明治時代になって、その中期以降に明治政府の意向で全国各地に植えられました。政府への不信感を払しょくする。徳川幕府のイメージを世間から排除し、明治政府の良い印象を強める。そのために、人々に愛されていたサクラを、明治政府の政策として全国に街路樹として植えていったとありました。植えられたサクラの約80%がソメイヨシノだとされています。
ただ、花の時間が短いことは、種をつけにくく自然に繁殖できないことにつながります。次世代への種子の実りが期待できないことから、人の手でクローンにて増やされました。江戸時代末期に~明治初期に、染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木職人が品種改良をして作られたとされています。そのため、病気に弱い性質も引き継いでしまいました。さらに花見客に根を踏まれ続けていることが原因で、多くのソメイヨシノが悲鳴を上げ、枯れてきているといわれています。サクラの木の下で花見の宴会が、サクラの命を短くしていたのです。弘前に花見に行ったときには、木の下にて花見ができない工夫がされていましたよ。桜の木の下にロープが張られているのは、そんな理由からの保護活動なのですね。サクラへのマナーとして受け止めたいと思います。
でも、その前に「冬の厳しい寒さ」がないと開花しないとのこと。ソメイヨシノを含むサクラは、秋になると「休眠」して、冬の厳しい寒さが来ると、暖かくなる春に向けて休眠解除をする「休眠打破」、つまり人間でいうと「起きる」のだそうです。それが証拠に、暖冬の冬は、休眠打破が遅れて、サクラの開花も遅れるといった具合だそうです。
とすると、この冬も全体的に暖冬とのことでしたが、ぐっと寒くなった時があることで、しっかりと休眠打破がされたということになります。
ちなみに勝手ですが、休眠打破の日が1月の寒かった日と考えていて、2023年の仙台のソメイヨシノは3月中に満開かそれに近い状況になるのではと、繰り返します・・・勝手に予想しています。
真美沢公園、黒松口のソメイヨシノ、サクラの命は短いです。ぜひ訪れてご覧ください。
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