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更新日:2025年3月25日
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真美沢公園の四季 第十八回 ヒガンバナ
真美沢公園は、以前あった八乙女の広域の水田地帯に向けて3段のため池があった里山が連なる地域に、仙台市北部を住宅地として団地が切り開かれた中で里山とため池といったセットで残されたと思われます。最後まで残されたため池の水を利用していた水田も商業地や住宅地に変わり、里山とため池が、自然豊かな地域資産として残されています。
第十八回 ヒガンバナ
葉の育つ時期と、花の育つ時期が別の季節
英名:red spider lily
ヒガンバナは、全草有毒な多年生の球根性植物です。その昔、山口百恵さんが歌った「曼珠沙華」で、改めてどんな植物だろうと、みんなの注目になりました。特異な植物です。見た目も、育ちも。
一つ目は、葉の育つ時期と、花の育つ時期が別々という特徴を持つこと。葉は線形、深緑色で光沢があり、長さ30〜40cm、幅6〜8mm、花の終わったあと秋に現れて束生し、翌年3〜4月に枯れる。花は、彼岸の頃に道端などに群生し、赤い花をつけます。二つ目はその花の姿。独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30-50cmの枝も葉も節もない花茎が地上に突出し、その先端に苞に包まれた花が多数付きます。
昨年9月に入ったばかりの頃、ヒガンバナの赤い花を真美沢沼で観つけたときは、野生種の力がみなぎっていてそれはそれは綺麗で感激したのですが、2,3日もしないうちに一輪挿しにと持って行かれた方がいたのでしょう。なくなっていました。でも安心してください。別なところでまた咲いています。
3月、花を咲かせたのと同じ場所に細い葉を密集させたロゼットが観られました。これはきっとヒガンバナだろうと、ひとまずは、「今年の彼岸の頃にも花を咲かせてくるれるだろうと、期待し、心に秘めた思いを持てたのが、上の写真です。ロゼット状に葉を広げて陽の光を受けてじっとしている様です。この後地上部分は一度枯れてしまうのです。昨年花を終えた後から3月まで、ロゼッタ状に葉を広げて、じっと花を開かせる栄養を蓄えているのだとのことです。そしてまた初夏に同じように葉を広げます。
彼岸の頃に咲くのでヒガンバナ。名前の付け方として的を得ていますね。知らぬ間にググっと茎が伸びて蕾を付け数日のうちに花を咲かせます。一本の茎から出る花は、遠目に一つ球形まとまった花に観えなくもありませんが、6つの分岐した蕾が開いた花を観ることができます。その数は通常は6ですが、たまに5だったり、7,8だったりもあるようです。そのつぼみから咲く花は、散形花序で6枚の花弁が放射状につく姿で独特な様子を見せてくれます。
つぼみから出る雌しべは一本、花粉のある葯が観える雄しべが6本です。花が開いたばかりの葯はあかい色をしていますが、時間とともに黄色くなり、飛んでしまって雄しべとしての役目を終えたように見えます。
別名「曼珠沙華」50代以上の方は山口百恵さんの歌で広く認知されていますよね。法華経などの仏典に由来するとのこと。仏教からくることなのか、毒があるからなのか、墓地などに植えられることはあっても、家に持ち込むことを良しとしないとのイメージがあります。
花の名前は、マンジュシャゲだけでなく、全国に1000以上の方言名があるとのこと。人々とヒガンバナとの関わりが見えてくる方言名が多いようです。
「マンジュシャゲ」,「ハミズハナミズ」,「カエンソウ」,「ユウレイバナ」,「シビトバナ」,「ハカバナ」,「カジバナ」,「キツネバナ」,「ステゴグサ」,「シタマガリ」,「テクサリバナ」,「ハヌケグサ」,「ヤクビョウバナ」等々。・・・さすが『人里植物』です。
ヒガンバナには種ができない、というのが定説です。中国には種ができるコヒガンバナがあり、それらを介した品種が入ってきているかもしれませんが、日本に渡って全国に広まった帰化したヒガンバナには種ができない。写真にあるように花が落ちた後、果実ができ、種らしきものが生成されるも発芽する力はないそうです。
ではどうやって増えているのかといえば、日本でヒガンバナは球根で増えます。球根の中でも、葉が特殊化した鱗片が重なり合った鱗茎といって、地下茎の一種で、短い茎のまわりに養分を蓄えた肥厚な鱗片葉が重なって、球形になったものです。わかりやすい例では、ユリ、ニンニク、玉ねぎなどが同様の鱗茎で球根を作ります。
その鱗茎ができて広がるとします。その鱗茎の球根が2cmほどとすると、丘一面にヒガンバナが咲くまでにどのくらいかかるのだろうと考えてしまいます。地滑りや大雨で流されてだけでは、丘一面にはならないような気がしました。きっと人の手が入っていると考えたほうが納得いきます。
鱗茎はデンプンに富むとされていますが、全草アルカロイド系の有毒成分であるリコリンを有します。その特性を利用して、畑地や田んぼの周りに植えてミミズやオケラなどの繁殖を抑えて、モグラを遠ざけたと聞きました。
真美沢沼ももとは八乙女の水田のためのため池です。モグラを遠ざけるためだったのかもしれません。土手に穴があけら有れないようにと植えていたと考えられます。その名残として咲いているのでしょう。だからヒガンバナは人里離れた山中にはない、人の手で広げられてきた「人里植物」なのですね。
ヒガンバナの繁殖を毎年観察した記録が雑誌「遺伝」(裳華房)の1997年4月号に載っているそうです。鱗茎が分家して増える長年の記録をまとめた文献です。故松江幸雄氏によれば、30年余にわって観察した結果、1個の球根は926個に増えたそうです。条件さえよければ、全ての球根(鱗茎)から花が咲きますから、見事な群落ができるでしょうね。
花が終わった秋から春先にかけては葉だけになり、その姿が食用のノビルやアサツキに似ているため、誤食に注意しましょう。